こんにちは。
京都大学農学部3年の北川晟慈と申します。私は2025年の4月に代表を引き継ぎ、現在では2代目として会の運営を軌道に乗せることを目指し活動しています。
まず軽く自己紹介をさせていただきます。私は関西のベッドタウンで人生の大半を過ごしてきましたが、親の影響もあって登山や虫取りなど自然に触れる機会がやや多い幼少期を過ごしました。おそらくその経験から森林に興味を持つようになり、現在では森林科学科で林業を中心に学んでいます。
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さて、みなさんは普通に生活されていて、自然と関わることはあるでしょうか。ハイキングに出たり、魚や虫を捕まえたり、草木を燃やしたり。もう何年もやっていないという人も多いのではないかと思います。
歴史を振り返ってみると、昔の人々の生活は自然と相互依存の関係にあったことがわかります。薪炭材を例にとると、エネルギー革命前が起きるまでは木材が炊事や暖房のエネルギー源として使われていました。すなわち農村に住む人々は日常的に山に出入りして枝を切り、生活に使っていたのです。ただしこれは人間が木材の利益を受けるだけでなく、山の環境が明るく維持されることで結果的に豊かな生態系を育まれていました。
童話『桃太郎』に「おじいさんは山へ柴刈りに」というフレーズがありますが、ここでいう柴が燃料として使う雑木の枝のことだというのは意外に知られていません。時代は変わり、『桃太郎』の世界は多くの都会住民(私も含めて)にとって決して身近ではなくなりました。70年ほど前には普通にみられた生活様式は、深刻なほどに廃れてしまっています。
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人間ー自然の相互依存的な関係は、人間の一方的な離脱によって消滅しつつあるといえるでしょう。人間は石油という「チート」を手に入れたので問題がないように見えます。しかし、自然はそうではありません。薪炭材の例では、人間の活動によって明るい森という豊かな生態系が維持されてきました。そこで急に人為が働かなくなったため、森はどんどん成長して鬱蒼となったり、竹林に置き換わったり、あるいは放置された人工林が生まれたりしています。
そしてこれらの変化によって、生物多様性が低下したり、その影響として森の恵みを得られにくくなったり、土砂災害が起きやすくなったりと、まわりまわって人間もよくない影響を被る可能性があります。自然はあるがままの姿が美しいのだという意見も尊重すべきですが、人間の生活に対するリスクがあるならば、何かしらの手を打つべきです。
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かといって前近代的な生活を送ることは不可能なことは共通理解として疑いようがありません。つまりこの問題を解決するためには、従来のやり方を再現してそのまま実行するだけではまったく解決に近づかないと考えます。私たちは(学生の頭の柔らかさを生かしながら?)昔ながらの知恵と習慣を現代に適合する形で修正していくことが有効なのではないでしょうか。
自然を保護するために、上のような論理を用いて使命感を植え付けて半ば義務的に動員を行うという手もあるでしょう。しかし私は、自然にかかわることで参加者が楽しみや驚き、満足などのポジティブな気持ちを得ることを大事にしたいと思っています。そのために、会員の興味は折に触れて聞き出すようにし、ひとりひとりの興味や知的好奇心を満たせる活動を模索しています。
人間と自然の伝統的な関わりは、非常に広範囲にわたっていました。そして、今後腰を据えて考えなければなりません。「アンダーユース」という言葉の中には、空間的にも時間的にも非常に大きく複雑な問題が包含されています。
そんな問題に対して、私たち「森里海と文化研究会」は、多種多様な学生が自身の専門と興味を生かしながら、これからの社会を担っていくという視点を持って、楽しみや面白さを原動力としながら活動していきます。
自然との関わりについて問題意識を共有してくださるみなさん、ぜひ一緒に共創していきましょう。興味を持ってもらえた学生の方、自然保全の活動をされている団体様、そのほかどのような方でも、ご協力いただけましたら大変ありがたいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
(2025年11月1日)
北川晟慈

2025.07の炭焼きの様子